水無月のチャリンコ上洛旅 ~その2 都を護るマジカルパワー、市電の駆けた通りここにあり~
どうも、令和になっても相変わらずの更新ペースを維持する既望路です
改元ぐらいじゃどうにもなりませんよハッハッハ(
せっかくの連休なのでゆっくり更新していこうという魂胆です
まあ、お出かけもちゃんとするようですが…
メトロになって1年になる大メトさん*1
これを祝して既存のスタンプ(大阪市営ロゴ入り)を全て一新、そして配布のスタンプ帳に全てのスタンプを集めてやれば、何かが貰えるそうです
せっかく、GWの期間中のみ使える3dayパスも発売されているということなので、昨日より挑戦を始めています
まあ、133駅コンプには程遠い状況ですが(
等間隔に並んだ駅名標っていいですよね
地上駅とは違った雰囲気を醸す地下駅、意外と面白いもので
せっかく駅に降りるので、駅周辺も散策
(スタンプが集まらない原因)
あと2日、どこまで集まるかわかりませんが、頑張ってみようと思います
(そして令和の内に記事になるのか――)
さてさて、前置きはこの辺にしておいて、さっそく本題へ入りましょう
時は平成、それも27年のことです
早くこちらも新たな時代を迎えたいところですが、さていつになるのか
前回はこちら、お勉強が嫌で自転車で京都まで逃げて、伏見周辺を散策していたお話になります
そして今回はその続きからになります、ではどうぞ
こちら、九条大宮です
ちょうど、東寺の南東角になりますね
そしてこちらが、慶賀門と呼ばれる門になります
ちょうど、東寺道を東から進むと突き当たる門になりますね
今でこそ、バス停3つ分進めばお寺にぶち当たる京都ですが、平安遷都当時はこの東寺と、西にあった西寺の2つかお寺がありませんでした
というか、それ以外の建立が認められていませんでした
そもそも都が奈良から京都に移った理由にはいくつかあります
1.奈良の平城京はインフラが最悪な上、問題点も色々あった*2
2.桓武天皇がしばらく続いてきた天皇の家系から外れる、肩身の狭い立ち位置にいたため*3
3.奈良の仏教教団が度々政治に介入してきて鬱陶しかった
4.平城京の他に、大阪にサブの都があったけど、2つに分かれてるからやりづらい
などなど・・・
聖武天皇の時代*4には、飢饉や災害、貴族の血みどろの争いなどが相次いで発生し、聖武天皇はこれを何とかする必要がありました
(天皇がしっかり
このままでは無能のレッテルを貼られかねない聖武天皇は、都をあちこちに移動させたり*5、でっかい大仏を建てて仏教パワーで国を守ろうとしたり、色々画策しました
(このとき建てられたのが東大寺の大仏)
挙げ句、この貴族の政権争いに便乗する坊主まで現れ、政界はてんやわんや
一時は孝謙天皇に寵愛されていた道鏡*7という坊主が政権を握るまでに至ります
そんな奈良時代のグッダグダに楔を打ち込んだのが、桓武天皇です
桓武天皇は今までの奈良時代を築き上げてきた天武系の天皇とは異なる血筋でした
画像見たほうが早いですね(
(宮内庁のHPをより拝借したものを少し並び替え)
途中、元明天皇辺りで天智系の天皇が来るものの、48代称徳天皇の辺りまでは大体オレンジ枠の天武系の時代が続きます(天武系「ずっと俺のターン!」)
色々あった潰し合いの果て、後継者がいなくなってしまったので、天智系に白羽の矢が立ちました
まあ、そんなこんなでこの遷都は、天智系の新たなスタートと、既成仏教教団との距離を置く丁度いい手段でした
場所は始め、平城京とサブ都の難波宮*8の資材を再利用するために、淀川、木津川に接続している桂川付近に作られました
これが後の長岡京なわけですが、川に近すぎたため洪水フィーバーの挙げ句10年でお引越しせざるを得なくなりました
それが、かの有名な平安京です
こちら、現在の地図の上に置いた平安京
現在の「京都」の範囲とはかなり異なるのがよくわかります
特に、この内右京のエリアは半分ほど未着手だった上、水はけがよろしくなかったので、そうそうに衰退していきます
(そして東にどんどん拡張されていきます)
そして、「天子南面す」のお約束の元、天皇のいる大内裏から見て右京左京が決められています
相次ぐ都市改革で平安京の遺構はほとんど失われていますが、こういった場所でまだ残っているんですよね…
話を戻して…
(毎度何も考えずに文章打つからこうなるんだろ)
この平安京の南に位置する東寺と、西にあった西寺*9は平安京唯一の官寺(公的なお寺)として、東大寺同様、マジカル仏教パワーで都を鎮護しました
(後は皇家のによる先祖供養などもここで行われたそうで)
元は滝行をしたり座禅を組んだりすることで修行し、悟りの境地へ至るのが目的の仏教ですが、このときの日本では専らマジカルパワー的な何かとして見られていたようで
そして何だかかんだで平安中期になると、この東寺は真言宗の開祖である弘法大師空海に渡されることになり、以後、真言密教の修業の場と化します
以後真言宗は、高野山金剛峯寺と共に、この東寺においてマジカル仏教パワーを用いた病気平癒とうで着々と力をつけていきます
色々と中身のない紆余曲折を経ましたが、ざっくりまとめますと…
「平安京ナンバーワンのお寺で、京都の中でもとっても古いお寺なんだよ!すっごーい!」
「マジカル仏教儀式が得意なフレンズ(真言宗)が、ここで皇家や貴族の信仰を集めたんだって」
ということになりますね
なので、京都の中でもかなり長い歴史を持つお寺… というか最古レベルと言っても過言ではないお寺です
(確か東寺の中の倉庫的な何かが、京都で唯一平安時代から残る遺構と聞いたような)
後はこの、東寺、弘法大師空海繋がりで、昔から伏見稲荷大社とも深い関係があり、神仏分離以降の今でも、稲荷祭の還幸祭にてその名残が見られることでも有名です
伏見稲荷大社還幸祭 東寺門前
— 既望路 (@after_full_moon) May 3, 2019
稲荷大社の御神輿に般若心経を読経する光景が何とも不思議な感覚でした pic.twitter.com/VXi2uvlTN1
(面倒くさいのでツイートのリンクで)
これぞ神と仏のコラボレーション
お寺がたくさんある京都の中でも、一線を画するお寺です
東寺についてはここまで
(お疲れ様でした)
東寺沿いに油小路通(八条通から堀川通にシフトチェンジ)を北上してきます
やってきた先は、堀川塩小路から左折した先にある、梅小路公園です
(度々被写体と化すチャリンコくん)
梅小路公園は、平安遷都1200年を記念して作られた公園で、元々はここにも梅小路の貨物駅が広がっていました
(今ではだいぶ規模も縮小されましたが)
この梅小路公園、鉄道好きには嬉しいことに、懐かしの京都市電が結構な数静態保存されています
この通り、一部車両は中にも入れます
運転台
おぉ… レトロ…(語彙力)
運賃表
(当時のものでしょうか?)
初乗り25円に歴史を感じます
(それも今の市バスでは230円… 50年後にはどうなっているのか)
前回も京都の路面電車について少し触れましたが、あちらとこの京都市電は似て非なるものでした…
明治維新後、1100年京都にいた天皇が東京に移ってしまい、意気消沈とした京都
その落ち込んだ京都の活気を取り戻すべく計画されたのが、
・「琵琶湖疎水の建設」(水路を作って琵琶湖から水を拝借大作戦)
・「路面電車の運行」(水力発電で作った電気で日本初の路面電車を運行大作戦)
の3つでした
路面電車は伏見~京都駅を始め、内国博覧会の会場がある岡崎など着々と路線網を広げて行きましたが、これを行ったのが「京都電気鉄道」という私鉄でした
なんだかんだで大成功を収めたこの計画、人口もグイグイ伸びてゆく京都市でしたが、やがてカツカツ状態にへと陥ります
そこで、この増加した人口やらボンボン増える工場*10に対応スべく、第二の計画が持ち上がることとなりました
それが
・「第二琵琶湖疎水の建設」(もっとお水を拝借しよう大作戦)
・「上水道の整備」(人口増えたし衛生管理もしっかりね大作戦)
・「道路の拡張及び市電の運行」(市民の足もしっかり確保しよう大作戦)
の3つでした
この内の道路の拡張では、千本通、大宮通、烏丸通、東大路、丸太町通、四条通、七条通の拡張が行われ、そこに新たに「京都市電」による路面電車が運行されることとなりました
この緑の部分に新たな路面電車が開業しました
(流石に各道路のどの区間が拡張されるか全部調べるのは骨が折れるので、市電の部分のみで)
これにより、今まで大路小路が縦横していた京都に、現代に続く大通りが建設されることとなりました
この地図にはややこしくて調べるのが面倒だったので書いていませんが、一部で「京都電気鉄道」と線路を共用する区間もあります
始めは一緒に走っていた「京都市電」と「京都電鉄」ですが、やがて市電が力をつけ始めると、京都電鉄を飲み込んでいくこととなりました
(均一運賃区間を作りたかったそうで)
京都電鉄を飲み込み、新たな路線を獲得した京都市電ですが、ここで京都市が更なる道路拡張及び市電敷設大作戦を立ち上げます
その内容は、北大路通・東大路通・九条通・西大路通からなる京都環状道路と、河原町通の拡張・市電敷設というものでした
これにはかなりの年月を要しましたが、烏丸線延長から35年の歳月を経て、ついに京都市電ネットワークが完成しました
こちら、既存の市電路線に、新たに建設された路線を加えたものになります
(京都電鉄から移譲されたものは省いています)
中々壮大な路面電車網ですね
こうしてみてみると、路面電車網≒現在の大通り、というのが何となくわかってきます
(余談ですが、五条通、堀川通、御池通は戦時中の防火帯形成のために拡張され、今の大通りに繋がっています)
このように、一時は京都を縦横無尽に駆け巡った京都市電でしたが、やがて路面電車お約束の、モータリゼーションの煽りを受け、定時運行が困難になり、利用客が離れ衰退という構図を描いていきました
そして、市電ネットワーク完成の1958年から20年後の1978年、徐々に路線バスに置き換えられてきた市電も、ついに終焉を迎えます…
そして現在、以上の通りを緑の暴走族京都市バスの主要系統(要検証)が縦横無尽にのんびり列をなして走っています
この内、堀川通(緑)以外には循環系統となるものが走っていまして、それらがかつての京都市電を彷彿とさせるルートをなぞって、今日もグルグル回っています
(特に、201系統は市電1系統、207系統は市電7系統のルートを今も受け継いでいます)
烏丸通だけあまりバスが走っていませんが、その代わりに市営地下鉄の烏丸線が走っています
市電廃止の3年後には運行を開始しているので、中々歴史の長い路線です
まあ、そんな市電と京都の大通りの歴史でした、はい
でっかい通りをバスで通るときには、「ここを市電が走ってたんだなぁ」と思いながら車窓を眺めて頂けると幸いです
(車内を見渡しても、学生か観光客ぐらいしかいないので)
再び路線図
常に増えたり減ったりの京都市電でしたが、これは1970年の伏見線・稲荷線(京都電鉄より移譲)廃止から1972年の千本線大宮線千本北大路~四条大宮、四条線の四条大宮~祇園廃止までの間でしょうか
京都市電ネットワークだけが綺麗に残ってた時代ですね(しみじみ)
700型
下記の車両に比べ浅い番号ですが、900形の次に登場という中々侮れない付番法則
なんか軽量で高スペックみたいだったそうで
(技術的なことになると途端に適当になる)
横の4つ折りの扉がお洒落ですね
800型
輸送力不足の10m級(600型)と、輸送力過剰の14m級(1000型)のちょうど間をゆく車両として製造された、12m級車両だそうで
500型
京都市電初のボギー車
(ってWikipediaにデカデカと書いてるのでそうなんでしょう)
この車両が登場するまでの京都市電は、標準軌軌道では「広軌1型」、狭軌軌道*11では「狭軌1型」とよばれる車両しかいなかったそうで、
多分The路面電車な車両の中では一番古い部類に当たるのではと
900型
800型の後に登場し、700型の一つ前になります
(ええい、ややこしいっ)
1600型
さっき一回載せたやつ
こちらはオレンジの帯を巻いたワンマン対応車
600型のワンマン改造になるそうで
そして中々酷い傾き用ですが、こちらの大正ロマンな車両が狭軌1型になります
リチウムイオン電池で動くエコな電車に改造され、現在でも元気に走っています
向き
架線からの給電はもう行っていませんが、ポールの方向転換はそれでも律儀に行っています
架線のないスッキリとした公園を静かに走る点がPRされていますが、面倒くさいオタク的には架線から給電してヴイヴイ鳴らしてる姿がいい、なんて人もいるでしょう…
そんな面倒くさいオタクなあなたに朗報、なんと狭軌1型の動態保存はここだけじゃないです
それがこちら、名古屋の博物館明治村!
ちゃんと架線から給電して走ってます
勿論、明治村はこれだけなく、数多くの歴史的建築物や資料を保存公開しており、近代好き垂涎のテーマパークになっています
アクセスは名鉄犬山駅からバスで20分、名古屋に来たついでに寄ってみるのは勿論、これを目当てに名古屋に来てもいいレベルです
このときにはすっかり存在を忘れていましたが、もう一両ここに静態保存車がいます
2000型
このときに撮ったものになります(
こいつは中々面白い車両で、輸送量が若干落ち込み気味なものの、ラッシュ時は大型の1000型でも賄えないのが現状という時代に登場しました
その特徴はワンマン対応でありながら、2両連結での運転が可能というラッシュ時にも閑散時にも使えるオールマイティな機能
京都市電の中では一番新しい車両という立ち位置でしたが、何分特異な仕様であったため、市電廃止を前に全車引退となりました
(車両としてはまだまだ使えたみたいですが)
さてさて、そんなかつての市電を偲ぶことができる梅小路
今は西工とエルガ顔がブンブン走るあの通りも、かつては市電がヴイヴイ言わせてた
しかし、そんな時代もすっかり過去のもの
見てみたかった…
乗ってみたかった…
淡いクリームと深い緑をまとった市電に…
…
そうだ…
行こう…
広島に…!
松山に…!
900型のワンマン改造車である1900型が15両広島で、2000型5両が松山で全車現役で走ってます
カメラも一新したので、そろそろ訪れたいもの
あと、阪堺の方にも1800型がいくつか譲渡されたものの、こちらは全て廃車され、保存車一両を残し全て解体となりました…
(保存車は毎年6月のイベントで公開されているみたいなので、検討してみてもいいかもしれませんね)
さてさて、えらく長い脱線でしたが、そんな京都市電のあれやこれやに触れれる場所が梅小路です
この3月に梅小路京都西駅も開業したので、新駅来訪ついでに覗いてみてはいかがでしょうか
再び梅小路を散策
柵の向こうに何か変わった車が止まっていますね…
国鉄時代に電車による長距離輸送を実現し、吊掛駆動車における黄金時代を築き上げていそうな車が…
80系でした
中々いい趣味したオーナーさんですね #などと
あっちにはとっても楽しそうなレストランが
京都鉄博開業に備えた待機ですね、はい
この一年後にやっと開業となります
蒸気機関車と客車のコラボッ…!!
はるか…
計画自体は2009年に水族館と一緒に考えられていたみたいですね
京都鉄博も2回ぐらい行きましたが、中々楽しい場所です
SLスチーム号
(Steam Locomotive Steam Go)
牽引機は北びわこ号でお馴染みのポニー
あ…
鉄道省の顔(SL)と、国鉄の顔(485系顔特急車)の2ショットでしたね(しみじみ)
だいぶ長々と梅小路に時間を割いてしまいましたので、ちゃっちゃと進めようと思います
(まだ進むの)
梅小路から西院へ移動
この嵐電も京都市電発足時から、嵐山エリアでずっと走っています
(というかこの101形、車籍だけは90年ぐらいあるんですよね…)
嵐電にいっぱいいるやつ(モボ611形シリーズ)
中々苦しい2ショット
市バス
何だかんだで手前のバスは既に廃車されているようで
西院から三条の方へ
池田屋跡地に経つ居酒屋
倒幕派の志士達が倒幕計画を練っていたところへ、新選組が殴り込み制圧した「池田屋事件」があった跡地です
倒幕派の有力幹部の大半が殺され、長州藩が京都に攻めてきた禁門の変の原因になったとかなんとか
(「うちの幹部になにさらしてくれとんじゃぼけ」的な)
新選組優位に終わったので、新選組ファンの聖地的な位置になりますかね
戦後まで建物もずっと残っていたみたいですが、高度経済成長期の最中に取り壊され、テナントビルが建てられたとか
かっぱ寿司(ひゅい!?)
ではなくこっち
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された「近江屋事件」の跡地になります
ほとんど不意打ちで、刀を取る間もなく頭を切られたそうで
寺田屋では何とか逃げ切れたものの、近江屋ではだめだったそうで
角倉了以によって開削された運河で、京都と伏見を繋ぐ運河として長年活躍していました
そして鴨川デルタに到着
(若干水位増してますね)
と今回はここまでとしましょう
なぜ九条大宮から鴨川デルタの3時間を記事にするのに11時間も費やしているのは甚だ疑問ですが、まあいいでしょう
前回は「歴史」、今回は「鉄道」…
と来ればあとは「アニメ」要素ですね!
というわけで、次回もご期待いただければ幸いです
では、以上!