菜種と雨と岡山遠征 ~智頭急の車掌さんと、往年の久留里線コンビ~
どうも、雨ばかりで中々出かけることが出来ない既望路です
まあ、結果こうしてブログの更新に着手できるわけですが
一週間の内2日だけ休みってやっぱり少ない気もするんですよねぇ
土曜日なんて一日中寝てたら終わってますし…()
というわけで、今日も画面の右半分で艦これのイベを進めつつ、更新に勤しみます*1
そんな最近の近況ですが、日食とやらを眺めていました
まあ、安定の雲配給で爆死しましたが
そういや去年の冬も曇りで爆死してましたね…()
まあ、そんなもんでしょう
というわけで、本題へ参りましょう
今回は東北遠征から無事に帰ってきた後
18券を消化すべく出かけた、日帰りの遠征になります
(日帰りで遠征が矛盾に感じるこの頃)
目指す先は中国エリアです
では、どうぞ
2017年3月31日
大阪→姫路→大原
噂の新型車両に初乗車し、自動放送に驚く朝
やって来た先は、おおよその遠征の始まりの地、大阪
ここから京都線・神戸線・宝塚線のどれかに乗り込むのが大体の始まり
だったんですよねぇ(過去形)
なにやら見慣れぬ物体が取り付けられたホーム
今ではちょくちょく見る可動式も、このときは東西線ぐらいだったような
ここからいつもの朝ラッシュ新快速に乗り込み、姫路駅へ
姫路からは初乗車になる姫新線へ
今回は姫新線の乗車率を上げるのが目的の半分
姫路発車から10分、終点の余部にあっさり到着
日本海ひすいラインとか走ってそうな顔
余部に12分滞在し、後続の播磨新宮行き(姫路始発)に乗車
姫路で12分待つか、余部で12分待つか
それだけです
沿線の風景も徐々に春めいてきていますねぇ
「千本駅」
三日月駅となるカッチョイイ名前の駅ですれ違い
名前のルーツは、江戸時代の三日月藩
粋な名前なもので
そして三日月と言えば…
ノ ル マ ク リ ア
3月のあたまに続き二度目ですね
終点の播磨新宮で上月行きに乗り換え、上月の一つ手前、佐用で降車
姫路~佐用は基本この顔
ここから智頭急に少し寄り道
車内は可愛らしいひな祭り電車
(走る度に飾りがガッシャンガッシャン揺れるところには触れるんじゃない)
車内には可愛らしいSDえりおちゃん
切符片手にガタゴトと
景色こそは穏やかですが、線路が高規格なので軽快にかっ飛ばします
というわけでやって来ました、大原駅
目的はもちろん鉄むすスタンプです
こちらのキャラは「宮本えりお」ちゃん
智頭急の車掌を務め、趣味は天体観望*2
学生時代の部活は剣道部だそうで*3
PickUP以前からの古参鉄むすの一人なりますね
こちら待合室
何故かジャーナルやファンのストックもたっぷり
西村京太郎()
改めて充実した待合室でした
大原→津山→倉敷
大原から再び佐用に戻り、今度は津山行きに乗車
サクッと到着、津山駅
構内にはキハ40がいっぱい
亡き津山色もこのときは一応いました…()
奥にはノスタルジー塗装
47が2両と40が1両いますが、こちらは40の方
何気に乗ったこと無いんですよね
ここからは津山線に乗車し、岡山方面へ南下します
読み方?
かめのこうって書いてるじゃないですか(
あいにくのお天気ですが、DMF11系エンジンの駆動音をBGMに、のんびり書に耽ります
岡山三大河川が一つ旭川沿いをのんびりガロガロ
岡山に到着し、流れるように乗り換え
倉敷を経て、何気に初乗車の水島臨海鉄道へ
この水島臨海は、岡山県の倉敷駅からまっすぐ南の水島・三菱自工前を結ぶ鉄道で、貨物輸送も行っています
その歴史は太平洋戦争の時期にまで遡り、水島地区に作られた、三菱重工業水島航空機製作所への専用線が始まりになります
1937年に始まった日中戦争*5が思いのほか長引き、陸海軍は三菱に航空機の増産を要請
三菱はそれを受け、新しい航空機の工場を岡山県の援助も受けつつ水島に建設*6
その新しい航空機の工場の専用線として倉敷~水島航空機製作所に敷かれたのが、水島臨海の始まり
水島航空機製作所はここで、陸軍の一式陸攻二二型や、海軍の紫電二一型を主に製造していました
専用線もこれら機体のパーツを運んでいたのでしょうか
こいつら
そんな感じで航空機を生産を続けていましたが、制空権を取られた後はアメ公による空襲に度々見舞われ、1945年8月15日に終戦
専用線の方も、終戦後は水島工業都市開発*7による旅客化を経て、倉敷市営交通による運行に
旅客化当時から国鉄のお古が使われており、その流れか、今でも国鉄のお古が若干残る路線になっています
1970年には倉敷市営から、新たに設立された三セク会社「水島臨海鉄道」に路線が移譲され、今に至ります
(左:国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより改変)
弥生~水島のストレート線や、沿線の碁盤の目のような街並みも、工場と一緒に作られた学校や寮、社宅の名残ということがなんとなく分かりますね
というわけで
そんなこんなでまもなく終点、三菱自工前
水島を出たらその場で切符確認
切符確認後は特に回収もしないから、そのまま持ち帰ってしまってOKとのこと
列車を降り立ち、駅の向かいへ
倉敷→岡山→大阪
約15分後、キハ30+キハ38が入線
この手前のキハ30は、1961年に都会近辺用の通勤型気動車として登場した車両です
当時の関西本線(現:大和路線区間)は、未だにSLが客車を引っ張るような路線
変わって、並行する近鉄線は複線電化でビュンビュン快適
これじゃいけない
気動車化しようにも、当時の普通列車用気動車は2扉セミクロスのキハ17かキハ20ぐらいしかいなかったので、これではラッシュ時に対応できない
そこで、ラッシュ時にも対応可能な、3扉ロングシート気動車を作ろうということで登場したのがこの、キハ30
このキハ30は、両運転台タイプのキハ30と、片運転台タイプのキハ35・36の、計3形式が製造されました
表にするとこんな感じ*8
このキハ30系列は、関西本線を初め、奈良線や草津線等の関西近辺路線や、千葉の房総半島エリア、新潟地区や北九州など幅広く導入されました
車両の特徴は、なんといってもこの吊り下げ式扉
底床ホームに合わせるべく3扉全部にステップを設けたところ、台枠の強度が減少*9
ここに更に戸袋を付ける余裕もなかったので、台枠に優しい、吊り下げ方式が採用されたとか
寒地用でもこの吊り下げ式とか恐ろしい
台車はお馴染みのDT22
キハ20からキハ40まで、結構いろんな国鉄気動車が履いてるやつ*10
そんな車両です
水島臨海のキハ30については、2013年に2両導入
それまでは、久留里線の方を走っていました
車庫の方にも気動車いっぱい
左から、キハ20、キハ30、DE70、DD50、MRT300、キハ37
ほぼほぼ水島臨海オールスター
(残るキハ38は、さっきのキハ30の後ろにくっついていました)
さっきのキハ30と一緒にやってきた編成
塗装変更もされず、なんなら久留里線幕を掲げて留置
コヤツは部品取り用のようで…
それでも、久留里線の幕が見れたのはなんだか感動もので
これが例の三菱の自動車工場
工場の隣を臨海が走る
三菱自工前で待っていても列車は来ないので、隣の水島まで徒歩移動
水島駅に着くと、さっきの折返しが入線
こやつは、キハ30の製造の25年後に登場した、30の後続車両
名義こそはキハ30の改造ですが、実際は廃品を一部流用している程度
この車両の登場により、八高線にもめでたく冷房車が導入されることになりました
12年のE130導入に伴い、一緒に走っていたキハ30・キハ37と共にこの水島臨海へ転属
元々7両しか作られておらず、国内ではこの水島臨海の車両が唯一の稼働機
何気に貴重な車両です
こっちはキハ30
扉が楽しい
球場前駅で降車し、直線距離的には近い撮影地へ移動
駅からの直線距離は近いのに、結構迂回しなきゃいけないのがちと厄介
そして、三菱自工前から折り返してきたキハを迎え撃ちますが、この天候じゃ流石に光線が足りず撃沈
一本西の踏切へ移動
しかし、続く倉敷市からの折返しも、雨がレンズに付着し撃沈
また来よう…()
暗いところでも撮れるカメラ、やっぱりいるなぁ
と思う(コンデジ引退フラグ)
撃沈後は倉敷→岡山→姫路といつものルートで帰阪
安定の姫路えきそばで、雨に濡れた体を温めます
変わらぬ美味さ…
そんな、日帰り18きっぷ遠征回でした
以上。
文字数は4000弱
気がついたらキハ30も脱線かましていたので、字数的にはそんなものですかね
秋田遠征ではイマイチパッとしない天候続きでしたが、こちらは雨()
まあ、春遠征なんてだいたいそんな感じな気がします
(夏なら晴れると誰が言った…?)
次回も18切符消化編
またしても気動車成分マシマシでお送りしたいと思います
では、以上