終焉、國鐵廣嶋伝説 ~その2 首都圏を駆けた103、末期となり邂逅す~
どうも、重い重い腰を上げ、やっと更新に取り掛かった既望路です。
寝る前に軽くDMM GAMEをやろうと思ったのですが、どうやらサーバーの調子が悪いみたいなので、ブログの更新に取り掛かります(寝ろ
さて、東方EUROBEATをガンガンかけて記事を打ち込みますか
(寝れなくなる)
その前に、最近の出来事を前書きに軽く上げておきたいところですが、大抵は前回の記事で出尽くしましたからね…
(そもそもあれが前書きになる予定だった)
あ、そうだ
いつもWii Uを占領してイカに没頭している妹氏が寝ていたので、その隙を突いてスマブラXを軽くプレイ
昔やり込んだ指の動きは今でもしっかりと体に残っているようで
そして今日、数年来のチャレンジでボスバトルの激ムズをクリア
過去の自分による絶え間ない研究と、今の私による暇つぶしによって無事突破されましたね
ボスバトルはリザードンの岩砕き一択です
私が小学生~中学生の頃はスマブラXが大盛況だったのですが、みなさんはどうだったのでしょうか
個人的に亜空の使者が好きでした
今でもたまに一からプレイするほどに
そういえばスマブラXの音MADから音MADの世界にのめり込んで、そこから鉄道MADへと範囲を広げて…
ある日、フミキリ・オブ・ナイツに出てきた銀髪のメイドさんに一目惚れしたんだっけな…
そのメイドさん見たさにしつこいぐらいに動画をループさせまくったのを今でも覚えています…
その出会いが今の私にここまで影響を与えるとは、その頃の私は知る由もなかったことでしょう…
なんの話をしていたんでしたっけ…
そうでした
何事も積み重ねが大事です(綺麗にまとめるな)
いい感じに指も慣れてきたので、そろそろ本編へと参りましょう
(前書き=指のリハビリ説)
前回は大阪から鈍行列車を乗り継いで三原までやってきた後、三原城を観光して回り、セノハチを下ったとことまででしたね
今回はセノハチを超えた先、向洋という駅での撮影から始まります
では、どうぞ
向洋
読めないですね
向洋という地名時代は広島市の地区名
どうやら「駅があるのは府中だが、設置を働きかけたのは向洋区だ」と向洋の方々の声により駅名が向洋になったとかなんとか(要出典)
そしてこの府中市がまた特徴的で…
こちら、ウィキペディア先生から勝手にお借りした広島市の地図です。
真ん中あたりにポチっと空白地帯になっている場所があるのに気づかれましたか?
ここが府中町だそうです。
なんだこのバチカン市国みたいな市町村は…
広島市の近郊で人口密度は三大都市圏並、更にマツダの城下町でもあり市に昇格する条件はみたいしているとのこと
日本で唯一同一の市に囲まれた市町村で、度々広島市との合併の話題も上がっているそうで
まあ、マツダ等の大企業からこぼれ落ちる法人税が絡んで、どうも合併話は先に進まないようですが…w
そんな広島市の真ん中にぽつんと空いた場所で撮影を行います
さっそく何か来たぞ
片方は白幕、もう片方はLED幕
編成組換えの影響か、元からか…
ここは魔改造の聖地、広島
何が来てもおかしくはない…
この時はまだ3両だけでしたが、いつのまにか10両ぐらいにまで増えていてびっくりです。
EF67もそろそろ終焉ですかね
見かけたら撮らざるを得ない⑨
あたいったら最長ね!
残念ながら広島は最高で8両編成だそうで
(昔は結構な長さで走っていたのですかね)
真っきっきなボディが眩しい115系N-12編成
こやつ、115のくせして2扉車です…
どうやら153系の後継者として製造された3000番台から構成された編成だそうで
カバンから下がる咲夜さん
アクリル板だけではなくてよ
黄色いお花と黄色い電車
こっちの115は3扉車…
と思いきやこちらはP編成なので113系
115系と113系の見分け方は一筋縄ではいかないので、どうも苦手です…w
ギュイーンとカーブを曲がる103系
広島では2年前に引退してしまいましたが、大阪では未だに元気(?)に走っています
環状線:1~2本(最後に見たときには)
羽衣線:まだ行ける (死にかけ)
奈良線:むっちゃ元気やで (227系で置き換えるというぶっ飛んだ噂も)
播但線:新車?ナイナイナイ
加古川線:顔が105だからやり過ごせるはず
3年ぐらい前から消える消えると囁かれてまだ消えない103系
可愛い顔しているので別に問題はないんですけどね
(普段利用しないし)
ただ、この広島の103系は割りと原型に近い姿を保った編成となります
(前にも言いましたかね)
帰ってきました
横から見れば総武線?
今ではすっかり減ってしまったミルクカフェ塗装
こいつは今でもミルクカフェを保っているそうで
(もう一本はO-04編成)
L-07編成
だからどうしたって言われましても
みんな2000番台の末期です、ええ
わたしゃその程度しかわかりませぬ
ハトさんもこの通り、何が何やらさっぱりのようで
またまたやってきました103系
さっきのがD-02編成で、こちらはD-03編成
あとD-01編成を撮れば広島103系はコンプリートです
(廃止直前が一番コンプしやすい)
クリアテールのせいか、関西の103とは全然違った車両に見えます・・・
そもそも黒ゴムの103自体ほとんどいなかったような気が
帰ってきたD-03編成
ボケてますねぇ
黄色い花とPart2
見切れた怒涛の8両編成
一度ピン置きすると何もいじれない、コンデジの悲しき性
迫力があっていいんじゃないでしょうか
こやつに乗っていざ広島へ
なんか置いてありました(いちいち撮らんでいい
~末期の車窓より~
補機のEF67さん
~末期の車窓より~
補機のEF210-300さん
お、あそこにいつのはデビュー前の227
彼がこの國鐵廣嶋伝説に終止符を打つ戦士となります
ボケましたが、新旧補機の並び
末期は征く、山陽線の果まで
大阪から10時間(撮影含め)
やっと広島に到着です
広島までとんぼ返りで帰れるもんなんですね…
ここ広島ではダイヤ改正に向け、路線カラーを反映した駅名標も提出されています
ここは… 環状線広島駅でしょうか
(103系が普通に走っていますからね)
加古川線広島駅
(103系が普通にry)
草津線広島駅
(113系がry)
阪和線広島駅
(ry)
2扉君です
そしてホームにやってきた103系D-01編成
これにてコンプです(あっという間でしたね)
お隣には末期の105系
このお隣の末期105、こう見えて103系からの改造車です
千代田線直通用として常磐線を走っていた車両ですね
一方103系の方はクモハ103-530 ー モハ102-145 ー クハ103-86
全て京浜東北線で運行されていました
その二つがここ広島で再び巡り合うーー
中々ロマンチックな話ではないでしょうか
ちなみに103系の方は淀川電車区にも所属していた時期があり、親の時代にはこのあたりを走っていたんだなと思うとなんだか感慨深いです
せっかくなので、ジロジロと見ていきましょう
その前にパシャリ
最早遠征恒例芸
クモハ103-48
蒲田、日根野、奈良、淀川と点々と移籍した後、ここ広島へ
こちらはモハ102-145
これも浦和電車区に所属していました
同上(
幕は快速
行き先はヒロさんです
体重の話は禁句です
こちらは運転席
レトロですねぇ(無知
天井には扇風機
冷房はちゃんとついています(これで拡散させるんですかね?)
哀愁漂う車番の板
もっと撮るとこあっただろと突っ込みたくなるような記録写真です(
外から色々
田窓が綺麗
白いライト
いよいよ出発
こうして103系くんを見送ることになりました
元気でね!(2日後に幡生へ連行)
103系君の撮影が終わったので、お外へ移動
広島駅の新しい跨線橋です
デザインが大阪駅っぽいです
ちなみに以前使用されていた跨線橋は現在解体中
車両と共に、駅も新しくなろうとしています…
関西本線広島駅
(キハ120が普通走っていますからね)
寄り道をしながら改札外へ
外にあった高いところ(どこだっけな)から望む広島駅
リニューアルに向けてせっせと工事が行われています
これが昔の跨線橋…
思いっきりむき出しですね
(時刻表もそのまんまだ)
中々面白いものを見た後は近くの踏切へ
向かった先はこちら、
芸備線のキハ40
こちらも末期です
この愛宕踏切は山陽本線と芸備線、加えて車庫への出入りに貨物列車とバラエティ豊かな列車が通ります
それ故、「開かずの踏切」なんて呼ばれていたりもします
歩道橋より
フェンスの隙間は流石に無理がありましたか
末期の105系
こちらは103系顔です
カープを連想させる赤ライン!!
地元も80系電車置き換え以来の新型車両に沸き立っているようで
地元にチームのカラーをまとった電車が走ればそりゃファンも大喜びでしょう
この後は広島駅前に寄り、広電の撮影と行きます…
とまあ、今回はここまでとさせていただきます
次回は広電撮影遍からスタートさせていただきます
といっても既に書き上げた記事を二分割にして投稿するだけなんですけどね
残りの記事も明日頃には投稿されるのではないでしょうか
帰宅から後日談まで既に書き上げてしまっているので、感覚的には既に終わった感じですが、次回も楽しみにしていただけると幸いです
では、以上