既望月を旅路の友として

ブログという名の備忘録

長月のチャリンコ上洛旅 ~その1 日本酒と天下人のまち、院政は都の南で~

どうも、最近既望路が続く面接です。

 

6月も後半に差し掛かり、もうでーでもいーや感が否めない限りで

 

というわけで今日も浮上したわけで

 

 

 

 

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恒例の時事ネタ

 

田んぼに水が入り、水鏡の季節がやってきました

季節感のある光景は好きです

 

 

 

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令和の時代になっても未だ冷房が導入されない路面電車走らせてる会社の一般公開へ

 

スーツに就活バック下げた人は他にいませんでした

(気になっていたモ256は見当たらず)

 

 

 

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夜の撮影は楽しいねっていう

 

待ってたポールスターは被られました

 

 

 

 

近況報告終わり

 

 

本編へ参りましょう

 

 

 

Q,さて、今回の内容は…?

 

A,どーもみなさーん 分かっているでしょう~?

 

チャリンコ上洛旅編でございます

 

お い 日 本 史 勉 強 し ね ぇ か

 

 

 

というわけで、みんな大好き(白目)、チャリンコ上洛旅です

 

はい、また行ってます

 

 

と言っても、大体ネタは出し尽くしたので、多分大丈夫。多分

 

ちゃんと鉄分も用意していますし(震え声)

 

 

ともあれ、どうぞ

 

 

長月のチャリンコ上洛旅

 

大阪という日常からの脱出

 

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時は2015年の9月25日

 

 

流石に秋に突入していたので、逃亡、ということはなかったのですが…

 

急遽京都に行く必要に駆られたのです…

 

 

それが、国勢調査のポスターを一目見ることでした

 

だいたいこの手のポスターは、お硬いものばかりですが、京都の国勢調査のポスターは一味違います…

 

www.itmedia.co.jp

 

5年に一度行われる国勢調査ですが、京都は変な方向に気合い入れてポスターを作っています(いいぞもっとやれ)

 

2010年はけいおん!でしたが、今年はまた違う作品でやってくれたという…

 

 

それを見に行くためだけの上洛です

 

 

 

?最近京都行ったばっかりじゃないの、と思う方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません…(時系列バラバラすぎて覚えていないというのが大半でしょう)

 

 

そう、本来なら大学の説明会に行った帰りにでも探す予定でした…

 

 

ですが、すっかり忘れていました…

 

 

 

京阪使ってもう一回行くか…? でも往復800の出費は痛すぎるっ…

 

諦めるか…? でも…?

 

いや、あるさ… お金をかけず京都に行く方法がっ…!

 

 

 

というわけで、大学説明会の翌日には、自転車を漕ぎ出して、また京都に向かって走り出していました

 

 

 

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交野北IC辺りで一枚

 

この辺りから沿線に田んぼが増え、駅間も広くなっていきます

 

 

 

 

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京都府突入

 

 

 

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京田辺の辺りで新名神の工事が行われていました

(丁度、最後の板をはめ込んでいる最中ですかね)

 

 

当時は大津~高槻はどこも通っていない状態でしたが、この写真と撮った2年後、つまり2017年に、城陽~八幡(京田辺)だけ部分的に開業しました

(この写真の部分が丁度ゴール)

 

 

大津~高槻を作るか作らないかで10年ぐらいもめていなければ、もう開通していたのでしょうか

 

 

 

こういう工事現場の写真を撮るのは割と好きな人

 

樟葉の辺りもそろそろ橋脚作ろうとしているので、近い内に覗きに行こうかしら

 

 

 

第二京阪生駒山脈に一部沿っていることから、寝屋川~京田辺辺りは中々鬼畜なアップダウンゾーンですが、そこを過ぎれば京都盆地に突入するので、比較的に楽にこげます

 

 

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京都盆地に突入

 

あとは帰りまで安泰です

 

 

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木津川

 

この先で宇治川桂川と合流です

 

 

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もうすぐ10月なんだよなぁ…

 

 

 

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宇治川

 

この先でさっきの木津川と桂川と合流します

 

 日本酒のまち、伏見

 

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前回は伏見の市街を散策したので、今回は高瀬川沿いを北上

 

対岸に見えるのは松本酒造の酒造です

 

 

今でこそ京都市の一部になっている伏見区ですが、明治初頭まではずっと、「伏見」という独立した地域でした

 

そんな伏見を代表するのが、日本酒です

 

上質な地下水を溜め込んでいる伏見は酒造りに適しており*1経済の中心地である京都にも近いことから、酒造が盛んになりました*2

 

特に室町期の京都には、人も多く集まったことから、*3土倉と呼ばれる金貸し屋が力を有しており、この金貸し屋がビジネスの一環で酒造を行っていました*4

 

この室町期の京都・伏見における酒造により、酒造業は大きく発展し、やがて日本酒そのものに対する需要や文化を育んでいきます

 

やがて応仁の乱、戦国時代になると徐々に地方も力をつけ始め、各地域独特の文化が発展すると、各地域で細々と作られていた酒*5も独自の進化を経るようになり、現在の地酒に通ずる発展を見せます

 

 

 

まあ、そんな日本酒の歴史を語る上では外せない、一つの聖地がここ伏見になります

 

 

 

未だにお酒飲んだこと無いマンですが、いつかしっぽりいってみたいもので*6

 

 

 天下人のまち、伏見

 

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伏見の街と、奥に見えるのは伏見城

 

 

豊臣秀吉によって建てられた城になります

 

秀吉の城といえば大阪城ですが、大阪城が全国統一の過程で建てられた城に対して、伏見城晩年の隠居場所として建てられた城です

 

 

 

本能寺で炎上した信長の後を継いだ秀吉は、着々と全国を統一する中で「大阪城」を築城しました

 

izayoi98re.hatenablog.jp

(大阪城についてはこちら)

 

 

そして、全国統一もほぼ終わりかけの時期には、京都に新たな拠点を築いていました

 

それが聚楽第で、場所は元々平安京の内裏があった場所です*7

 

 

秀吉はここで関白として政治的にも色々な政策を行い、やがて甥の豊臣秀次に関白の座を明け渡すと、自身は太閤となりこの伏見に新たな拠点を築きます

 

それが伏見城です

 

 

 

まとめると…

 

 

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大阪城(1583~1615)

・全国統一の拠点

・子の豊臣秀頼が秀吉の死後拠点とする

大阪夏の陣にて破却

 

 

 

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 「聚楽第(1586~1595)

・全国統一後の政治拠点

・甥の豊臣秀次へ関白を譲った際に一緒に譲られる

秀次切腹の後破却*8

 

 

 

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「指月伏見城(1591~1596)

「木幡山伏見城(1596~1600)*9 (1601~1623)*10

・元は聚楽第譲渡後の秀吉の隠居先

・色々あって城塞化*11

・慶長伏見地震にて倒壊、以後は木幡山伏見城

・木幡山伏見城関ヶ原の合戦で燃える

 

徳川時代に再建、江戸時代初期はここで政務が行われることも

・三代家光の時代に維持が厳しくなり破却

 

 

 

 とまあ、以上が秀吉が建てた3つの城になります

どれも歴史的に重要な城だったためか、レア度が高いですね

 

 

 

 

で、あちらに見えているのがこの内の「指月伏見城になります

 

場所の選定については水運における重要な拠点であったことと、元々この辺りが観月の名所であったためなどが挙げられるそうで

 

 

上記の通り、元々はただの邸宅でしたが、後に城塞に大改造ビフォーアフターされます

 

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いつか見た画像

 

槇島堤で無理やり宇治川の流れをいじって、伏見桃山城(名称は色々あります)の麓まで誘致されているのがお分かりいただけるでしょうか

 

これがこの大改造時にビフォーアフターされました

なんということでしょう

 

 

 

そんな場所に建つ伏見城で、秀吉は隠居後もチマチマと政治を行っていました

 

 

そのことからこの時代を、先代の織田信長による治世と併せて安土桃山時代といいます

 

「安土伏見時代」でも良いような気もしますが、江戸時代になると次第に「桃山」と呼ばれるようになったので、時代名もそうなったみたいです*12

 

 

あと、「桃山文化」の桃山もこの地名が由来です

 

 

 

 

今では伏見稲荷大社ぐらいしか名前が挙がらない伏見ですが、日本史においては結構重要な場所なんですよねぇ

(正直、桃山と言われてもピンと来ない)

 

 

 

 

あ、ちなみに写真に写っているのは鉄筋コンクリート模擬天守です

 

1964年に近鉄が沿線テーマパークの一つとして作った、伏見桃山キャッスルランド」のシンボル的な物として建てられ、一応「洛中洛外図」に描かれた伏見城を再現したそうで

 

テーマパーク自体は少子化や、此花の巨大テーマパークの影響を受け閉園しましたが、城だけは残っています

(残念ながら、耐震基準の問題で立ち入りはできませんが…)

 

京阪や近鉄に乗れば見れるので、興味があれば覗いてみて下さいな

(そして実際に真下から見てもよし)

 

 

そんな苦しい脱線をしつつ、伏見を北に上ります

 

 

 

 

 

 

南に移った中心地、鳥羽

 

 

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「城南離宮

 

白河上皇が都の南に作った離宮になります*13

 

 

時代は安土桃山時代から一気に平安後期にワープ

 

平安中期にやたら調子にのってた藤原氏がだんだん権力が落ち始めた頃、白河上皇が新たな政治体制を構築します

 

それが院政です

 

 

白河上皇は8歳の息子に天皇の座を譲り、自分は上皇となり隠居することにしました

 

でも、8歳の子に政治なんてとてもできるはずがなく

 

ですので白河上皇「ふっ…しゃあねぇな… なら、パパが代わりに政治をやってあげよう」と隠居したくせにやたら手出ししてきます

 

というかそれが狙いです

 

 

理由は、ざっくり言えば上皇の方が自由」というのが上がります*14

白河上皇「Yes!! Freedom!! Freedom!! BANZAI!!」

 

譲渡した上皇は、内裏ではなく、という別荘的な場所に移動して、そこから色々と政治に指図します

 

なので、この体勢を院政といいます

 

 

この「院」は、役割的には退位後の天皇が住む「仙洞御所」と同じなので、明仁上皇が住まわれる予定の場所をイメージしていただけると概ね正解かと

 

 

でまあ、白河上皇自体は、白河という場所に院を建て、そこで政治を行いました

(白河は現在の出町柳、京大、銀閣寺、吉田山、聖護院の辺り。ラーメン激戦区)

 

 

で、この城南離宮が本格的に使用されるのは、白河上皇の跡を継いだ、鳥羽上皇以降になります

 

場所が鳥羽という場所にあったので、「鳥羽離宮とも

(天皇の名前と混同してややこしいですが、鳥羽で政治を行っていたので鳥羽院(死後は鳥羽天皇鳥羽上皇)という名前になりました)

 

 

この鳥羽の地は平安京朱雀大路をまっすぐ南下した場所にあり、川が近く、山陽道も通る利便性の高い場所でした

 

 

 

ざっくり言えば、鳥羽上皇院政を行っていた場所」になります

 

 

鳥羽上皇のあとを継いだ後白河上皇はまた別の場所に院を作ったので、政治の中心地としてはこれっきりでしたが、以後も西園寺家の管轄下の元、しばらくは続いていきます

 

 

まあ、そんな一時日本の中心地になっていた場所です

 

 

余談ですが、戊辰戦争時にはこの辺り一帯が戦地となりますが、それについてはいつかの記事を御覧くださいな

 

 

 

 ちなみに、「城南宮跡」と書かれていますが、神社でもあります*15

 

元々のご利益は「方違え・厄除け」、今ではそれが転じて「転居・旅行の安全」更には「交通安全」の神様になっています

(自動車の茅の輪くぐりが行われる面白い神社です)

 

 

 

 

 

さて、ちゃっちゃと北上しましょう

 

 

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藤森付近

 

 

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たまこまーけっと

(と自転車)

 

 

 

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「すみません回送中です」

 

 

 

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塩小路通、京都駅の近くまでやってきました

 

 

 

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「いつかここに駅ができるんだなぁ…」

と思いながら撮ってました

 

 

 

 

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梅小路蒸気機関車館跡も着々と工事が進んでいます

 

 

 

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「連絡線見納め」といった感じです

 

 

未だに行く機会がつかめない「梅小路京都西」

 

来訪はいつになるのやら

 

 

 

 

とまあ、今回はここまでとしましょう

 

 

案の定、といった感じでしたね(

 

生きてます?

 

 

今回は昼に出発だったので、そこまで色々回れていません…

 

ですので、次回で終われたらなぁと考えています

(でも確信はないので、「前編」とは言わない)

 

 

次回も、眠たい素人日本史講座旅行記に期待していただければ幸いです

 

 

では、以上

*1:それ故、近鉄京都線建設時には掘削反対の運動も起き、結果一部高架となったとか

*2:後半は自説ですが

*3:朝廷も幕府も京都にいたので、自然と武士団や大名も集まります

*4:酒造には莫大な資金(米)がいるので、金貸し屋などが適していた

*5:主に平安朝廷の神事用の酒を作る部門から派生した、僧坊酒など

*6:初酒はカッコよく日本酒で、みたいな中二な憧れが無くもない

*7:戦国時代には既に荒廃

*8:実子が生まれれば用済み&色々とクソだった

*9:豊臣時代

*10:徳川時代

*11:明との国交で舐められないため、秀頼に大阪城を譲るため

*12:廃城後に桃がたくさん植えられたそうで

*13:完成は死後ですが

*14:あの面倒くさい藤原摂関家から指図を受けにくい

*15:元々神社があった